仕事の帰り道、ふと考えたことはありませんか。
「なんで自分は、この会社で働いてるんだろう」
私はこの問いを、入社してから15年間、ほぼ毎日のように繰り返していました。
今日は、誰にも言えなかった新人時代の話をします。
かっこいい話は一つも出てきません。
でも、もしあなたが今の仕事にモヤモヤした違和感を抱えているなら、きっとどこかに「自分と同じだ」と思う瞬間があるはずです。

本当は、音楽で生きていきたかった
私は1984年生まれ、沖縄育ちです。
中学から大学までずっと音楽活動をしていて、就職活動なんてそっちのけで「このまま音楽でやっていこうかな」と本気で考えていました。
でも、大学の恩師に言われたんです。
「大学まで進学させてもらった親御さんのためにも、一度は就職したほうがいい」
その言葉に押されて、ダラダラと就職活動を始めました。
時は2006年。
不況の真っ只中で、沖縄の求人はほとんどが工事業者か、かなり条件の厳しい会社ばかり。
ハローワークに通い詰めて、なんとか運よく拾ってもらえたのが、今も所属している建設コンサルタント会社でした。
建設コンサルタントというのは、道路や河川、港湾といった公共インフラの「設計」をする仕事です。
一般にはあまり知られていない職種ですが、実は1.5〜2兆円規模の業界。
社会を裏側から支える、誇れる仕事です。
ただ、当時の私はそんなふうに思えるはずもありませんでした。
「大学で習っただろ?」「……習っていません」
入社してすぐ、現実を突きつけられました。
大学で専門の勉強をろくにしてこなかった私は、構造力学も水理学も、基本のキから分かりません。
上司によく言われました。
「大学で習っただろ?」
私の答えはいつも同じです。
「私の大学では、習っていません」
「使えないやつだ」と言われたこともあります。
周りは地元の国立大学出身者ばかり。
「〇〇先生の研究室の誰々、知ってる?」みたいな会話には一切入れない。
学生時代には感じたことのなかった「学歴」という壁を、社会に出て初めて、嫌というほど感じました。
やる気はあるんです。
でも、何をしていいのか分からない。
1年目は本当に、悶々とした日々でした。
そして毎日の帰り道、決まって同じ問いが頭に浮かぶんです。
「なんで俺は、この会社で働いてるんだろう」
それでも、負けたくなかった

ただ、私は昔から負けん気だけは強かった。
分からないなら、調べればいい。
徹底的に資料を探し、技術基準を読み込み、どうしても分からなければ大学の恩師に電話して教えてもらう。
そんなことを繰り返しているうちに、少しずつですが、技術者らしくなっていきました。
そのうち、港湾や海岸の仕事に面白みを感じるようになり、上司に直訴して担当にしてもらいました。
工期前は毎日徹夜のような日々。
きつかったけれど、今思えば、あの時間が私の土台を作ってくれました。
でも――。
仕事ができるようになっても、あの問いは消えませんでした。
「なんで俺は、この会社で働いてるんだろう」
スキルが身についても、違和感は消えない。
むしろ、ぼんやりと膨らんでいく。
そんなとき、ある飲み会で知ったんです。
大学の先輩に「技術士」という国家資格を持っている人がいることを。
暗いトンネルの先に、小さな光が見えた気がしました。
「技術士になれば、きっと何かが変わるはず」
この一つの希望が、その後の私の10年を、いい意味でも悪い意味でも、大きく動かしていくことになります。
この経験からの学び
- 仕事への「違和感」は、ダメなことではなく、自分の本音からのサインだということ
- 学歴や環境のハンデは、行動量でしか埋められないということ
- ただし、スキルを身につけても「なぜ働くのか」という問いは消えない、ということ
あなたへの質問
あなたは帰り道、自分にどんな問いを投げかけていますか?
その問いを、もうどれくらいの期間、見て見ぬふりしていますか?
次回予告
次回は、私が「人生を変えてくれるはず」と信じた技術士試験への挑戦の話です。
合格発表の日、妻は泣いて喜んでくれました。
でも、その先に待っていたのは、想像していた未来ではありませんでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
もし昔の私と同じように「今の仕事への違和感」を抱えているなら、公式LINEで気軽に話しかけてください。
同じトンネルを通ってきた者として、あなたの話を聴かせてもらえたら嬉しいです。
【第1話】なぜ俺はこの会社で働いてるんだろう
【第2話】資格を取れば人生が変わると思っていた
【第3話】玄関のドアが、開けられなかった
【第4話】10万円の給付金を貯金しなかった夫婦の話
【第5話】あなたの専門性は何ですか
