
この資格さえ取れば、人生が変わるはず」
そう信じて、勉強を頑張ったことはありませんか。
私はその思いを支えに、何年も資格試験に打ち込みました。
そして、技術士に合格しました。
今日は、その合格の日の話です。
人生でいちばん、上を向いていた日の話です。
そして、その上り坂の途中で、私が見落としていたものの話でもあります。
人生を変えてくれる資格だと思った
建設コンサルタントの世界には、技術士という国家資格があります。
会社が公共の仕事を受けるうえで、とても大きな意味を持つ資格です。
受験するには、一次試験に通ったうえで、長い実務経験を積む必要があります。
沖縄では持っている人がまだ少なく、会社にとっても切実な資格でした。
だからこそ私は、この資格に「人生を変える力」を重ねてしまったのだと思います。
学歴の壁に悩んできた私にとって、それは初めて手が届きそうな、はっきりした目標でした。
受験資格を得て、29歳で初めて挑戦しました。
結果は、不合格でした。
3人目が生まれた年、私は勉強漬けだった
悔しさで、火がつきました。
仕事以外の時間は、すべて試験勉強に充てました。
実はこの年、3人目の子どもが生まれています。
上の子が4歳、真ん中が2歳、そして赤ちゃん。
本来なら、もっと子育てに時間を使うべき時期でした。
でも当時の私は、「早く資格を取ってやる」という気持ちのほうが勝っていました。
土日も勉強。
両親の手を借りて最低限のことはしていたつもりですが、いつも頭のどこかは試験のことで占められていました。
このとき初めて、自分にお金をかけました。
十数万円の添削講座。
会社員になって初めて、読書の習慣も始めました。
口頭試験の前には、県外まで模擬試験を受けに行きました。
お金も時間も、やれることは全部やったつもりです。
合格発表の日、妻は泣いた
2回目の挑戦で、合格しました。
合格発表の日、妻は泣いて喜んでくれました。
その涙を見て、心から思いました。
「これで、俺の人生は変わるんだ」
あの日の気持ちは、いまでもはっきり覚えています。
入社1年目に「習っていません」としか言えなかった自分が、国家資格を手にした。
帰り道で繰り返してきたあの問いにも、ようやく答えが出た気がしました。
仕事も変わっていきました。
より専門的な業務を任され、国の研究機関の方々や、県外の大きな会社との共同の仕事にも関わるようになりました。
充実していました。
確かに、充実していたのです。
「次は、別の科目でも合格してくれ」
合格のあと、当時の社長に言われました。
「次は、港湾の科目でも合格してくれ」
一瞬、固まりました。
また受験か、と。
でも当時の私は、会社が望むことに疑問を持つという発想がありませんでした。
「分かりました」と答えて、勉強を再開しました。
人生を変えるはずだった合格は、次の受験勉強の始まりになりました。
そして港湾では、すぐには通りませんでした。
1回目も、2回目も、不合格。
勉強を続けているのに、点数が伸びない時期が続きました。
家の中で、静かに起きていたこと

仕事と勉強に夢中になるほど、子どもたちのことは妻に任せきりになっていきました。
妻も仕事を続けていて、家のことも、子どものことも、仕事も、いっぱいいっぱいだったはずです。
それでも、頑張ってくれていました。
私はその頑張りに、気づいていませんでした。
正確に言えば、見ようとしていませんでした。
「家族のために頑張っているんだ」という言葉が、家族を見ない理由になっていたのだと思います。
当時の私は、そのことに気づかないまま、次の試験に向けて走り続けていました。
あなたへの問いかけ
いまあなたが頑張っているその挑戦は、誰の望みから始まったものですか。
そして、その挑戦のあいだ、いちばん近くにいる人の表情を、最近ちゃんと見ていますか。
資格は、手段にはなっても、それだけで人生を変えてはくれない。
そう気づくまでに、私はもう少し時間がかかりました。
次回予告
次回は、上り坂が終わった日の話です。
視察で訪れた東北で見た光景。
そして沖縄に戻った夜、私は自宅の玄関のドアを、開けることができませんでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
資格や昇進を頑張っているのに、なぜか満たされない。
もしそんな感覚があるなら、公式LINEから話しかけてください。
同じ坂を上って、同じところでつまずいた者として、あなたの話を聴かせてください。
私が直接お返事します。
【第1話】なぜ俺はこの会社で働いてるんだろう
【第2話】資格を取れば人生が変わると思っていた
【第3話】玄関のドアが、開けられなかった
【第4話】10万円の給付金を貯金しなかった夫婦の話
【第5話】あなたの専門性は何ですか
© Okinawa-ichi, All rights reserved.

