
人生には、それまでの生き方が一度に揺らぐ日があります。
私にとってそれは、2019年のある夜でした。
出張から帰り、自宅の玄関の前に立ったとき、私はドアを開けることができませんでした。
今日は、私の人生でいちばん苦しかった時期の話をします。
書くのも、正直しんどい話です。
それでも、この話を抜きにして、いまの私を語ることはできません。
東北への視察
2019年5月。
技術士先輩方との視察で、2泊3日、東北へ行くことになりました。
東日本大震災の被災地と、原発事故の現場を見る研修です。
参加費は安くありませんでした。
妻に「行ってくる」と伝えたとき、夫婦の関係はすでに良い状態ではありませんでした。
それでも私は、ためらわずに参加を決めました。
いま思えば、それだけ周りが見えていなかったのだと思います。
初めての東北は、5月なのに肌寒かったのを覚えています。
若手だった私は運転係でした。
長い道中、車窓から見えてきたのは、人の気配が消えた町でした。
言葉を失った光景


※専門のナビゲーターの下、一般立入が制限されているエリア(2019年)
少し前まで、確かに人が暮らしていたはずの町。
大きな堤防で、見えなくなった海。
津波にのまれた場所に残る、学校の跡。
原発事故の現場には、案内の方と一緒に近くまで入らせてもらいました。
事故の経緯を記録した施設、避難所になった建物。
多くの方が命を落とした場所に立ったとき、それまでの自分の暮らしとの差に、頭を殴られたような衝撃を受けました。
私は技術士として、インフラや防災の仕事をしてきたはずでした。
それでも、目の前の光景が突きつけてくるのは、大きな自然の前で人はこんなにも無力なのだ、という事実でした。
その無力感の中で、ふと、妻と子どもたちの顔が浮かびました。
当たり前の日常は、ある日突然、当たり前ではなくなる。
じゃあ、俺はどうなんだ。
明日、大切な人に会えなくなるかもしれないのに、俺は何をしてきたんだ。
もっと家族を大切にしたい。
もっと一緒に過ごしたい。
抑え込んできた気持ちが、一気にあふれてきました。
玄関の前で
沖縄に戻り、自宅に着きました。
玄関のドアに手をかけようとしたとき、家の中から聞こえてきました。
子どもたちと妻と、手伝いに来てくれていた義理の母の、楽しそうな笑い声が。
その瞬間、涙が止まらなくなりました。
ドアが、開けられない。
何分そこに立っていたのか、分かりません。
ようやくドアを開けた家の中で、私が感じたのは温かさではありませんでした。
「ここに、自分の居場所がない」
家族は、私がいなくても笑っている。
仕事と資格を優先してきた結果、家は「私抜きで回る場所」になっていた。
当時の私には、そう感じられました。
底にいた日々

そこからしばらくの記憶は、あいまいです。
眠れない夜が続きました。
理由の分からない不安に襲われ、胸がどきどきする日もありました。
ある日、胸を刃物で切られたような感覚に襲われ、涙が止まらなくなったことがあります。
当時の私には、心がもう限界を越えているように感じられました。
夫婦のすれ違いも、深くなっていました。
何度話し合っても、出口が見えない。
両親に入ってもらって話したこともあります。
それでも、重たい日が続きました。
頑張ってきたはずなのに。家族のためだったはずなのに。
どこで、間違えたんだろう。
答えは、すぐには出ませんでした。
出ないまま、毎日は続きました。
朝は起きて、仕事に行き、帰ってくる。
その繰り返しの中で、少しずつですが、「自分が家族を見てこなかった」ということを、言い訳をせずに認められるようになっていきました。
責めたいのは、誰かではなく、自分でした。
そして、責めるだけでは何も変わらないことも、だんだん分かってきました。
思いがけない糸口
その年の10月、技術士の筆記試験の合格発表がありました。
港湾で、3回目の挑戦でした。
朝6時、パソコンで自分の番号を見つけた瞬間、思わず「やった」と声が出ました。
仕事の支度をしていた妻に「うるさい」と言われました。
それでも、不思議なものです。
12月の口頭試験という「家族共通の予定」ができたことで、止まっていた時間が、少しだけ動き始めました。
試験会場は東京でした。
「だったら、みんなで行こう。終わったら東京を観光しよう」。
父と母も一緒の、家族の一大行事になりました。
私を追い詰めたはずの資格試験が、家族をもう一度、同じ方向に向かせてくれた。
もちろん、それで全部が元どおりになったわけではありません。
ただ、ドアの前で立ち尽くしていた夜から見れば、確かに一歩、前に出ていました。
あなたへの問いかけ
もし明日、当たり前の日常が終わるとしたら、あなたは今日の時間の使い方を変えますか。
あなたの「居場所」は、いまどこにありますか。
「家族のために働く」ことと「家族と生きる」ことは、同じではない。
私はそれを、玄関の前で知りました。
次回予告
次回は、ここからの立て直しの話です。
コロナ禍で支給された給付金。
多くの家庭が貯金に回す中、我が家が選んだのは「夫婦で一緒に学ぶこと」でした。
重い話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
もし今、頑張っているのに居場所がないと感じているなら、一人で抱え込まないでください。
公式LINEから話しかけてもらえれば、同じ場所に立ったことのある者として、あなたの話を聴きます。
つらさが強いときは、身近な人や、医療機関などの専門の窓口にも、遠慮なく頼ってください。
【第1話】なぜ俺はこの会社で働いてるんだろう
【第2話】資格を取れば人生が変わると思っていた
【第3話】玄関のドアが、開けられなかった
【第4話】10万円の給付金を貯金しなかった夫婦の話
【第5話】あなたの専門性は何ですか
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